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静岡だもんで

静岡と東京を行ったり来たりしながら感じたことを綴ります(不定期更新)

標準都市という価値

静岡県磐田郡浅羽町(現:袋井市)で生まれ、18歳で上京。20年間の東京生活を経て、再び地元である静岡県袋井市に拠点を戻しました。仕事の都合上、引き続き東京へも頻繁に足を運びますが、なぜ拠点を静岡へ移したのか。今回はそのお話。

 

前提として:

元々はゲーム会社勤めなプランナー。フリーランスになってからはゲーム以外にもイベント、ラジオ、書籍など幅広くコンテンツを企画提案するメディアプランナー。そこから「売る・伝える」に興味を持ち、現在はマーケティングブランディングの企画提案。

 

昨年、様々な事情が重なり実家で過ごす時間がグンと増えたのですが、暮らすレベルで半年以上を経て、静岡の持つ、標準都市としての価値(魅力)の高さを強く感じました。

 

静岡の特徴:

日本の標準都市としては「静岡」「岡山」「新潟」などが挙げられますが、中でも静岡は

・大都市圏(東京、名古屋、大阪)へのアクセス良好

東名高速・新東名・東海道新幹線といった「日本の大動脈」が通っている

・地理的にも日本の真ん中

・海と山と平地のバランスが良い

・暑すぎず寒すぎず気候が良い

都道府県別平均年収ランキング(2015年)では13位

・標準都市と呼ばれる県の中で出生率が最も高い

・老後に住みたい県ナンバーワン

などなど、いかにも「ベストオブ標準都市」らしい土地柄。

 

もう少し狭く、静岡県西部にあたる自分の地元(袋井・磐田・浜松)に絞ると

・年間通して晴れの日が多く滅多に雪が降らない

エコパスタジアム&アリーナで有名コンサート&スポーツが楽しめる

Jリーグチーム(ジュビロ磐田)がある

・海でも山でも川でも湖でも遊べる

・遊園地もあるし動物園もあるし植物園もあるし科学館もある

ららぽーともあるし、イオンモールも複数ある

家庭を持って暮らすには文句無しにオススメ。

 

更に、静岡県は下記2つでランキング日本一を獲得しています。

健康寿命(日常的に介護を必要としないで自立した生活ができる生存期間)

・中学生の地域行事参加率

子供からお年寄りまで隔たることなく手を繋いで、無条件に助け合うコミュニティがしっかり形成された中で生活を送る、とても明るい地域性だと感じます。

県民性は、保守的だけど新しいモノ好きでミーハー。基本は保守的だけど、新しいことには興味を持ちやすく(手を伸ばしやすく)、良いと感じれば継続して受け入れます。 

 

静岡で暮らす人:

簡単にまとめると「元気で幸せそう」。

最初に「おや?」と感じたのは、久しぶりに地元の同級生たちと会った時。

語弊を恐れず書かせてもらうと

・ちゃんと仕事して、ちゃんと結婚して、ちゃんと子育てしている

・家族のために働いて、家族と休日を過ごす

・貯金もしつつ、家や車など大きな買い物もしつつ

・めでたい事があればドーンとお祝いを出す

・将来に向けて常に備えている

 

これまた語弊を恐れず書かせてもらいますが

・良い意味で、人と比べない

・良い意味で、背伸びしない

・良い意味で、必要以上に求めない

・斜に構えず好き嫌いはハッキリ出す

・胡散臭いものには徹底して疑ぐり深いが、良いものはしっかり受け入れる

・個々に価値基準をしっかり持っている 

もちろん、東京でも上記に当てはまる人は大勢いるとは思いますが、明らかに質が異なります。

そもそもが違うというか、同じ日本だけど国民性が違うというか。1番のポイントは「良い意味で、必要以上に求めない」の部分。求めすぎて背伸びしすぎて身を滅ぼさない。でも必要だと感じたり興味を持ったモノには遠慮なくお金を使う。なので満足度は高い。満足してるから元気で幸せそう。

これに衝撃を受け、東京人と静岡人の「暮らし方・価値観の違い」に興味がモリモリ湧いてきました。

 

静岡の人を理解したい:

まずは、時間の許す限り、地元で人が集まりそうな場所(ショッピングセンター、カフェ、公園など)へ出かけて、来ている人たちをウキウキウォッチング。それだけでも充分に気付くことは多いのですが、もっと深く知りたいなと思い、2ヶ月ほど様々な「仕事」を体験してみました。地元にどんな仕事があって、どんな人が働いているのか。 

諸事情によりボヤかしつつ書かざるを得ないのですが、知り合いのツテを頼ったり、思い切って派遣バイトにも登録してみたりで、およそ20種の現場を体験。

ただ現場を体験させてもらうだけではなく、一緒に働く人には積極的に話しかけて仲良くなり、仕事以外でも連絡取ったり集まったり。地元で暮らす幅広い世代の男女と接する機会を意図的に作ってみました。

話せば話すほど、打ち解けられるほど、東京で暮らす人とは全く異なる「へぇー、そうなんだー」が沢山聞ける&知れるわけです。驚きと感心のオンパレード。楽しいの基準とか、気にいる基準とか、お金を使う基準とか、現状の不満とか、将来に向けての期待とか、人に対して求めることとか、恋してるだとか好きだとか。世代や育った環境は違うけど、根っこの部分では向いてるベクトルが同じだったり。これが本当に興味深く、刺激も多くて面白い。

(余談)地元では、僕の年代は就職していて家庭持ちなのが当たり前。なので「その年齢で何故この仕事してるの?」と不思議がられ、年配層からは高確率で慰められたり励まされたりします(笑

 

知れば知るほど:

「その土地の持つ空気感」や「その土地で暮らす人の価値観」って、データを眺めてたり、本で読んだり、たまに訪れたりする程度だと、知ることができるのは表面の一部分だけ。たまのデートだと気付けなかった本性が、一緒に生活して数ヶ月経ったら見えてきた。まさにソレ。 

地元の人を知れば知るほど、この「標準都市で暮らす人たちの価値観(生活感)」が、あらゆる「伝える・売る」シーンで実は必要とされる(知っておくべき)感覚ではないかと思うわけです。これから益々、大都市に人口が集中して、技術が進歩して、さらなる便利さと効率化が求められて、SNSを中心に「こうあるべき論」で価値の画一化を求められたり、素の自分が出せない息苦しさを覚える人が増えれば尚更。

データで得られる「行動の結果」も大事ですが、ここで言いたいのは「行動に移す動機」の部分。こればかりは、その土地で暮らして、その土地の人たちと接してみないと上手く感じ取れない。標準都市=地方の人に関する情報なら特に。

 

橋渡ししてみたいな:

自分の周りには、クリエイティブでもビジネスでも、でっかく、または唯一無二な存在として活躍されてる方ばかりで「皆さんホントすごいなー」と毎日のように良い刺激を受けまくっています。(ありがたいことです)

そんな皆さんとアレコレ絡ませて頂いてる中で、主にビジネス方面でジンワリ感じていることがありまして。それは、ついつい「来れる人だけコッチに来いスタンス」に陥りがちだなということ。

限られた規模感での商売であれば全く問題無いと思います。そうではなく、自身の商品やサービスを「広げたい」とアピールしているのに、上記のようなスタンスになっている人が意外と多いなーと感じるのが正直なところ。せっかく良い品、良いサービスを提供していても、自然と食いついてくれる人を待つだけの状態になってたり、こうするべき論に縛られて視野が狭くなってたり、意識高く上を向いているため逆に足元に沢山転がっているチャンスを全部スルーしてしまっては勿体無い。良いモノなら、しかるべき場所(人たち)へ的確なアプローチをすれば、きっと伝わるハズ。そのお手伝い=橋渡しをしたいと思うようになりました。

 

例えると:

これだけ優れた(快適な)車です!とか、これだけ安心できる車両保険です!と宣伝しても、それらを選ぶ客には「免許を持っている」という前提が必要。無いと困る地域性を除いて、自発的に「免許を取ろう」と動く人って思ってる以上に少ない。

魅力的な車を売る人や、車に関連した魅力的なサービスを提供する人が増えても、前提としての「免許取ろうとする人」も増えなければ、先細りしていく限られた客の奪い合いになるだけ。車を提供する側で「免許を取る人を増やす」までフォローしていることって、ほとんど無い(でしょ?)。自分がやろうとしているのは、この「車を売るために、免許持ちを増やす」部分のフォローといったイメージ。

 

別の例え:

既に高い場所にいる人が「景色が素晴らしいから登ってこいよ」とアピールしても、なかなか登ってくる人が現れない。見ると「登りたい人」は大勢いる。ただ、何らかの「つまづく」理由があって踏み出せない。

行くためのルートが、細くて揺れる吊り橋なら高所恐怖症には難易度高いし、ロープをよじ登るなら腕力が必要だし、ヘリコプターが必要なら大金を用意しなきゃだし。でも、実は気付いてないだけで、更に別のルートが存在してるかもしれないし、苦手な吊り橋でも「渡り方」を工夫すればクリアできるかもしれない。

景色が素晴らしいアピールして登ってくる人を待つだけではなく、登ってこない人の理由を探って、その理由ならこうすれば大丈夫だよねの「伝え方・見せ方」を提案して、無事に登ってもらう「橋渡し」をするイメージ。

 

そんなわけで:

どのみち「こうすれば必ず上手くいく」という方法は無いのだし、たとえ効率が悪くても「選んでくれる人を開拓する」に注力してフォローする人間が、1人くらいいてもいいんじゃないかと。

ビジネスする(モノを売る)に一生懸命になるあまり「こうすれば成功する」という安易な手法に飛び付いて、必要以上に大袈裟に煽ったり、場合によっては恐怖心で迫ったりといった「人を蔑ろにした健全じゃないやり方」も、本来、売るモノが本当に良ければ必要無いハズだし。場所を見極めて、丁寧に良さを伝えれば、ちゃんと受け入れてくれると考えています。

静岡の人のモノの受け入れ方がまさにソレ!

これから必要になるであろう「標準都市の人たちの感覚」を身につけたいので拠点を静岡に移したわけです。

 

東京で先端を突っ走ろうと焦って空回り気味な商売している人や企業に、丁寧にモノを受け入れる標準都市の感覚を橋渡し。

静岡で昔ながらの手法のまま停滞気味な商売している人や企業に、常に新しい大都市の感覚を橋渡し。

 

お互いの良い部分を橋渡しするための、静岡生活だもんで。